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ね、就職。する気あるの?

最近、ずうっと自分が何がしたいのか、夢は何なのか、考えていた。
それに、今この時に私は何をしたいと思っているのか考えていた。
わからない………いかにも、問題視されている現代の若者傾向で自分で鼻についてやんなる。

ある友人と二日続けて話した。その前にも別な友人と話す。
やりたいこと、なりたいもの、どうすべきか、 ――ワンダーな世界。
Ima...Nihon...Sekai...Siawase...
戦争についてだったり、教育についてだったり、成長についてだったり、考えることについてだったり、
私は-キット-そんな気になっていただけで-触発されて-
大そうなことを言い訳にして、結論を先延ばしにしているだけなんじゃないか。
いつまでもいつまでも先の見えない私の意見。
はてしなくはてしなく抽象的な私の意見。
結局具体的に何をすればいいのかわからなくて、、、
それっていうのは"すればいい"ものじゃなくて、"しよう"と自分で決めるものだ。

「今、ここにいる自分たちが幸せだということを、知っているべきだよね」
そう。ここにいて養育されて今があるのは、運からきた幸せ。
じゃあ、たまたまここにいる自分は、どうすればいいんだろう。
自分の幸せを極めるために生きればいいのか。それでいいのか?
結局は、そうやって一部として社会を回していくことがいちばんよい道なのかもしれない。
でも、それって本当なのかな。わからない。
他のもっとよいことはないのかな。じゃあ、どうしよう、どうすればいいの。わからない。

「わからない」という言葉と「すごい」という言葉のもつ抽象性が、私そのもののようだ。
(すごい、は、形容詞で抽象も何も無い)

どうにかするにしても、どこでどうにかするか決めなければ。
"どうにかする"って、それは誰かを幸せにすることなの?本当に?
やってみればいいじゃない。
……考えてもわからなくなったら、やってみるしかないじゃない。

数日前、社会を作って支えているものが、私の想像以上に想像よりずっとずっと大きくて、愕然とした。そこには、日本の復興の歴史・出来事、先人の技術力や頭脳、今の人の何万人もの力が関わっていて、無力感を感じた。同時に、そんなに多くのものに支えられていたことに気づいて緊張したのだった。
鶏口牛後。企業を見る上で、基準ではなかったがどこかで意識していた言葉。
そんな問題でないことを知った。そして、私は本当に社会のどこに携わっていくかを考えた。その時に、その大きなものを続けていきたいと思った。急に興味が湧いた分野があった。でも、そこに何故興味があるのか、がいまだにわからない。考えている。それが、私にとって私の想いや思考にとって、何なのか…。

ビジネスだからだと思っていた。新しいものを生み出して、ビジネスとして成功しなければならない、だから「どんどんアイデアを出して」「言いたいことは言える風土」「やりたいことはやれる」「自律」「自立」それらのことを企業は求めているのだと思っていた。でも、維持していくためにも進んでいくことが必要なのだろう。どんどん発展していかなくちゃならない。どんどん変えていかなくてはならない。元に戻る方向?(王政復古の時のような)先に進む方向? 石油が枯渇したってきっと石炭時代のような生活にはならないだろ。どんどん進化を続けて、進化を続けて、進化を続けて、地球を捨てて、進化を続けて、進化を続けて、星を見つけて新しく巣食い、進化を続ける。恐ろしい。何もせずに死んでいく方が恐ろしいのか。

私は、自分の生活に満足してしまっていた。寧ろ、やれることが多くて情報が多くて時間に追われていくような生活になっていくのが嫌だった。時代に逆行している、生み出すどころか失くして行く方向なのだ。
そういう方向も無くは無いだろう。しかし、私の中でそれが本当に幸せなのか迷いが消えない。
豊かになるということは、「やりたいことがやれる」となるのではない。「できることが増える」というものだと思う。だから、豊かになればなるほど人々は時間に追われていく生活になるのではないだろうか。そして、タイムスケジュールをきちっとし、セルフマネジメントと言い、やりたいことを数多くこなしていく。それが充実した生活となるのだろう。
人はそうして賢くなっていくのかもしれない。それが人の幸せなのだろうか。
……つまり、幸せを目指して生きていくんだ。

そうなれば、私はやっぱり自分の幸せのために道を決める? でも私の幸せって何だろう。
本当は、私は自分で私を幸せにしたかった。人に依存しないで、自分だけで。そして、私が幸せな状態を持って他人を幸せにしていきたかった。いやそんな大それたことではなく、幸せになる手伝いが出来ればいいと思った。
でも、私の幸せは、私の周りの人の幸せにあった。私が私で感じる"楽しさ"は、音楽を聴いたり本を読んだり映画を見たりゲームを見たりそんなことで、それらは正に「あってもなくてもいいもの」でしかない。ただ、周りの人の幸せの中に、私自身はいたくないみたいだ。やっぱり"ひとり"が私の中で大きくて大切みたい。怖がっているだけかな、最初の依存にもどってしまうと思う。



※今、岩本悠氏の「流学日記」を読み返しています。
とてもよい刺激になっていますので、そこから自分で感じて考えた内容も上記に含まれています。直結するわけではありません。
結局、今回も抽象的で終ってしまった。
そして、結局、自分のことばかり。大そうなこと言って、逃げているだけじゃ………

by maokon | 2006-03-31 00:35 | (過去の記事)

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